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学科設立のあゆみ

     台湾における日本語教育は長い歴史を持っています。日本統治時代(1895-1945)における「皇民化」教育のもとでの「国語教育」に端を発し、戦後約20年間の中断の後、外国語の教育の一環として今日にみられるような日本語教育が再開されるようになりました。

     1970年代に入り、台湾経済が発展し、それに伴い対日貿易も拡大するにつれ、台湾政府や民間企業は高度な日本語能力を持ち、深く日本文化を理解している人材の不足を痛感するようになりました。そこで、即戦力となるような日本語能力を擁したビジネスマンを育成するために、台湾政府は1980年3月31日に台湾教育部(文部省)下にある教育庁を通じて本校(当時の台中商業専業学校)に対し公文書(台69技字第8839号)を発行し、日本語をはじめ、英語とビジネスも習得できる教育計画を立てよという指示を出しました。その指示のもと、本校は1980年4月に「商業語文科日文組」計画書を提出し、最終的に本学科は「応用外語科日文組」の名称にて設立されることとなりました。本校において、商業知識はもちろんのこと、日本語や英語にも堪能なビジネスの人材を育成するという教育理念を掲げ、台湾全国初の「応用外語科」を設立したことは、公立学校では日本語学科を設立できないというそれまでの暗黙の了解を打ち破り、その後の台湾での日本語教育の更なる発展を遂げるきっかけとなりました。